才能というのは習慣だ
才能というのは習慣ではないかなと思う。
人生の中で無意識的に続けてきたことが才能として現れるのだと思う。
それが単に意識的なものであれば、努力というのに対し、無意識的なものであれば才能というだけの違いではないか。
何の才能もない人とというのをたまに見るけど、そういう人は結局、普通なんだと思う。
才能が普通過ぎて、それが才能だと周りが気付かないのだ。
小さい頃、多くの人がテレビを見ているような時間に本を読んでいれば、それに関連する才能が何かしら開花するものだと思う。
多くの人がテレビを見ている時間に、テレビを見ていれば、やはりテレビに関する才能が何かしら開花するのだと思う。
ただその割り振りがあまりにも多数派によると、才能があまりにもメジャーな分野で開花してしまい、目立たないと言うだけだと思う。
そうなりたくないのであれば、やはり人と違うことをするしかない。
要はわが道を進んで好きなことを好き勝手にやっていれば才能というのは開花するということだ。
人生を“半分”降りる―哲学的生き方のすすめ (新潮OH!文庫)
- 作者: 中島義道
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なお、同じ著者で、生きるのが困難な人々へ 孤独について (文春新書)という本もお薦めです。