不安と筋肉痛は喜びの前触れ

私をいつも揉んでくれているマッサージ師の人は、筋トレが趣味の人なんです。
「最近、ジムに行って、ちょっと運動とかしてるんですよ〜」
なんて言うと、色々教えてくれる。
プロテインを飲むといいとか、フォームが大切だとか。
「ちょっと筋トレしたら、もう全身筋肉痛ですよ〜」
「慣れると、だんだん筋肉痛が気持ちよくなってきますよ」
「えっ、そうなんですか!」
「ああ〜、効いてる、効いてる〜みたいな」
「そ、そうですか」

ところで、筋肉痛が気持いいかはどうかはともかく、この話を聞いて、なんとなく思いだした本の一節があります。
「精神レベルや波動が、それまでのものより一段上のレベルに移行する時、一時的に心や環境が不安定になることがあります」(『恋とお金と夢に効く! 幸せな奇跡を起こす本』80頁,佳川奈未・ゴマ文庫)
心がレベルアップするときは、不安になるということです。
そうだとすれば、これは筋肉の発展と筋肉痛の関係にすごく似ていますね。
マッサージ師の方が、筋肉痛に悦び(!)を感じるのは、痛みの先の快楽を経験的に知っているからなのです。

法律学の大家と言われる我妻榮は、自分の人生を振り返って、3つ大きな試験があったといいます。ひとつは高校入試(一高)、もうひとつは大学(東大)に入ったときの最初の試験、それから大学3年生で受験した高等文官試験(今でいう司法試験と国家公務員試験Ⅰ種を一緒にしたような試験)。
一高入試は、「責任感と不安の念とに責められて、一番苦しかった」(『民法案内-1私法の道しるべ-』227頁,我妻榮・勁草書房)。次の大学の最初の試験は、「不安は不安でも、どっかに自信があった」(同著)。高等文官試験に到っては、「不安というほどのものはなかった」(同著)。
だんだんと経験を積むにつれて、不安がなくなっていることがわかります。おそらく、不安の先に成功していくという過程を身体で理解し、不安の中に密かな自信が芽生え、その自信はやがて確固たるものとなり、不安は消えていったのでしょう。

そうであれば、私たちは、不安に喜びを感じてもいいはずです。
不安を感じるとき、私たちは新しい何かを待っています。何度も何度も繰り返し、結果が見えていることに不安は感じません。はじめての飛行機に不安はあっても、通勤の電車に乗ることに不安はありません。不安の先には必ずときめきが待っているのです。

不安と筋肉痛はときめきの前触れなのです。