大切なのは劣悪な情報に触れないことだ

巷では、情報が溢れているとよく言われる。

大切なのは、情報のシャワーを浴びることではなく、劣悪な情報に触れないことだと思う。

劣悪とまでは言わなくとも、情報を選択しているという意識がなくてはいけない。

本を読む意義は少なくとも、本を読んでいる分、他のメディアに触れる時間が減ることだと思う。

私は新聞代わりに、ムーという雑誌を読んでいる。

ムーの記事は大袈裟だ。スポーツ紙どころではない。

毎月地球の滅亡が予告され、宇宙のどこかで星が爆発している。
政治どころか生物体系が乱れている。

信憑性は限りなく無に等しい。広告にある超能力セミナーの開催日程すら本当なのか疑わしい。

それでも、自覚的にムーという情報を選択していることを意識していることは、盲目的に大衆紙を読んでいるよりもずっと主体的でいられるに違いない。


私の夢はいつか、大きな大きなデスクの社長席に座って、ムーを拡げながら「ウーム、大変な世の中になってきたな……」と毎月呟くことです。


ムー 2011年 07月号 [雑誌]

ムー 2011年 07月号 [雑誌]


ふと、お前の読んでいるその『ムー』という刊行物は劣悪な情報ではないのかという天の声が聞こえた気がした。