非モテ時代に成長しよう

恋愛に関していえば、人生にはモテ期と非モテの時期があります。
成長しているのは実は非モテの時期です。
恋愛の能力は段階的に上がっていきます。一次関数的には伸びていかないのです。ある日、ポンと能力があがるのです。そもそも、ゲームでも学校の勉強でも、一次関数的に伸びていくものなんてありません。一次関数というものがそもそもフィクションなのです。だから関数f(x)と表すのです。あ、フィクションじゃなくて、ファンクションか(笑)。似たような言葉は似たような意味を持つのです。


恋愛は基本的に同じレベルの人としかできないものです。
ということは片想いという状態は、ほんの少しレベルの高い人に向かって昇っていく状態なのです。

ところが、モテ期になると、向こうから押し寄せてくるわけですから、基本的には受けの状態です。
これは問題集でいえば、もうとっくに解ける問題がわんさかあって、ただ作業をしている状態です。音楽を聴いてようが、電話していようが、デート中に鼻をほじっていようがモテてしまう状態なのです。この状態ではレベルアップはのぞめません。

非モテの時期はモテていないので、恋愛以外のことをします。
ところが、実は恋愛というのは恋愛以外の要素で構成されているのです。恋愛だけをしていては、恋愛の基礎的能力は上がらないのです。
素敵な人とのデートは恋愛以外の部分で構成されます。話の内容は恋愛ではありません。恋愛ではないということは、非モテ時代にやっていたことの話がそこで生きるわけです。


『ぼくと1ルピーの神様』という小説があります。これは運命とは何かを教えてくれる素敵な小説です。
主人公はインドのスラム街出身の男の子です。この男の子が、クイズ番組に出演して、4択の問題をすべて正解して大金を得るのです。教養のかけらもない彼が全問正解できたのは、クイズの問題が「たまたま」全て知っている問題だったからです。
この「たまたま」を知るには彼の人生を知らなくてはいけません。
こんな風に小説は始まります。

そして、クイズの一問一問を彼が知った理由を解き明かしていく回想の物語がはじまります。
「たまたま」――つまり、偶然だとか運命というのは、突き詰めれば必然です。だから運命なのです。
「たまたま」素敵な人と盛り上がった趣味の話は、きっと非モテ時代にやったことの話です。素敵な人も同じように非モテだった頃に、同じことをしていたのです。これが運命なのです。
運命というのは振り返れば、煌めく一本の道になっているものです。
モテていない今が煌めく青春の一本道を紡いでいるのです。



ぼくと1ルピーの神様 (RHブックス・プラス)

ぼくと1ルピーの神様 (RHブックス・プラス)



今回のネタの原案は、中学の時からの友人のもえかちゃんです。
私がコーヒーを飲みながら、本を読んでいると電話があって、突然「見つけました!! モテ期よりも非モテ時代のほうが価値があるんです!!」って言うんです。
この何の前置きのない会話、素敵でしょう。
前置きもしないで、思いつきを伝えてくる友達を持とう。