希望は社会の前提となる

このブログのテーマは『希望』です。
希望とはそもそも何でしょうか。
今日は希望とは何か、希望学と呼ばれるものの概要を見ておくことにします。

希望は、社会の前提をなすもので、過去と未来をつなぐ展望です。
社会は常に未来に向かって進んでいるので、展望がないことには動くはずがありません。
したがって、希望は変化をもとめる展望です。
これに対比されるのが、幸福、幸せです。幸福は、現在や過去に向けて使われる単語です。「あの頃は幸せだった」、「いま幸せだ」ということはあっても、「明日幸せだろう」とは言いません。
また幸せは死んだらそれで終わります。それに対して希望は常に未来に投げかけられるので、死んでも終わりません。
自爆テロが希望をもたらすことはあっても、幸せをもたらすことはありません。
水滸伝』は希望の物語です。『水滸伝』には108人の英傑が出てきます。彼らのうち何人かは志半ばで死んでしまいます。しかし、希望は潰えません。なぜなら、希望は未来に向けられたものであり、『水滸伝』においてそれは社会の希望としての共同的な意識として展開しているからです。このように、集団レベルにおいては未来の社会についての共同的意識として社会の現在を未来に関連付ける役割をもち、社会の変革を可能にする根源的要素になります。このような共同的意識は、個人の希望の実現条件として位置づけられるもので、それによって個人の希望が消されるような性質をもつものではありません。
典型的な歴史的具体例として、社会主義革命とその後の社会主義社会の建設でしょう。
この例から、希望がそれが実現しても、真に幸福な状態に導くことをあらかじめ約束するものではないことがわかります。
しかし、望ましい未来についての意識である希望は、それなしには現在を望ましい方向に変革することができません。
希望は、それが生まれたことによって変革への現実的根拠となるのです。
そして、忘れてはならないことは、どのような希望も、個人の希望からはじまるということです。
ちょうど『水滸伝』が宋江の小さな希望からはじまったように、です。