やりたいと思っているだけの時間

作曲をしている友達がいて、その人が「やりたいと思っているだけの時間って絶対あると思うんだよね」って言っていたんですね。
なんとなく、作曲をしたいと思う。そういうことは多々あると思います。私は音楽はてんでダメで、作曲をするどころかカラオケにすら行こうと思いませんが、それでもピアノを弾けるというのはカッコイイことだと思うんですね。もしやるならピアノだなあ、ピアノやってみたいなあとぼんやり考えたとします。それが一か月後も同じことを言っているとしたら、それは自分の中で相当員やりたいことだと考えてもいい。二ヵ月経つと、口癖のように、ピアノ習いたいなあなんて言っています。友人は、「じゃあ、はじめてみたらいいのに」なんて言うのですが、事はそう単純ではありません。習い事にはお金がかかります。やる以上は真剣にやりたいので、習い事で少し弾くだけでなく家でも練習したい。そうすると、ピアノを買わなくてはいけません。せまいマンションでピアノなんて弾けませんから、ヘッドホンで聴きながらひけるように電子ピアノしようかな。そう思って、値段を調べると、結構高い。どうしたらものか――そう呟きながら保留する。そのうちに、ピアノの値段を調べるのが日課になってくる。自分の中でこれだというピアノはひとつに決まっている。でも、買わない。お金もないし、本当にピアノをやりたいのかもわからない。今はピアノどころではない。様々な理由があります。
このような状態を経て、いよいよ時機がきます。ある日、運命に導かれたかのように、なんでもない理由でポンとピアノを買ってしまうのです。
その人も、作曲をはじめるまでに結構な時間がかかったそうです。作曲ができるようになるまで、ではなく作曲をはじめるまでに時間がかかるのです。
私も3年以上前から、blog書きたいと言っていました。そして、ようやく、今こうしてblogを書いています。書こうと思ったのは、ある日突然、何か続けられるモノ、続けているモノが欲しい、そう思ったんですね。それで、自分が続けられそうなことのひとつに日記を書く、というのがありました。そこで、じゃあblogを書いてみよう。日記じゃつまらないから、何か他のコンセプトにして、続けてみよう。そんな風に、このblogがはじまったのです。

#はじめてしまえば、半分はもうできたようなもの。
#既にはじめてる時点で大幅にリードしてる。
#やりたいと思っているだけの時間は決して無駄にならない。

みなさんも、やりたいなと思っていることをはじめる時期が近いかもしれません。ある日、突然、心の内側から、そよ風のようにやる気が溢れてくるのです。