ゴミ捨ての星になる

よくビジネス書なんかを読むと、無駄なことをやるなというようなことが書いてありますね。その通り、時間や労力の割に成果が出なかったり、自分でなくてもできることなら、極力それはやらないほうがいい。
ところが、何かに属していたり、立場上の問題から、誰でもできることをやらなきゃいけない、しかも断れないときがあります。
こういうことの方がずっと多いんですね。ですから、よほど自由な裁量を持っている人でない限り、誰でもできることは当然自分がやるというのを基礎に据えたほうが、日々に潤いが出てくる。潤いがあるというのはモチベーションを高く保てるということです。自分でなくてもできることはやらないというのを基礎に据えると、どうしても「無駄な仕事をさせられている」時間が多くなり、日々に潤いがなくなり徒労(と感じる)ばかりが増えていくことになる。
その誰にでもできることを作業として割り振られたときに、どうしたらいいかというと、やる気を出す。異常なくらいに出す。絶対にこれで一番になるとか、この仕事こそ私の仕事だと思ってやる。
ゴミ捨てを頼まれたら、私のゴミ捨てを見せてやる、と。他の誰にもゴミは捨てさせない。ゴミを捨てを他の人がやっていたら、レギュラーを奪われたと思え、そう言い聞かせます。
真剣にやると、早くやろうとします。早くおわるようになると、少し余裕がでるのできれいにしてみようかとか、ゴミ捨て場に散らかっているゴミも少し履いておこうかと、だんだん仕事に拡がりが生まれてきます。そうすると守備範囲がひろくなって、ゴミが溜まっているだけでなく、ゴミ捨て場のまわりの散らかりも気になってきます。さらに拡がると、他のゴミ箱も気になってくる。気になるから何気なく一緒に片してあげるようになります。
また、普段ゴミを捨てているので、迷惑なゴミの捨て方と、そうでない捨て方の区別もつきます。そうすると、自分が書類をゴミに捨てるときなんかに少しだけの気の利いた捨て方ができるようになってくる。その頃には、ゴミ捨ては、誰にでもできる仕事ではなく、自分にしかできない仕事になってくるのです。

自分の労力を雑務で無駄遣いしないこともひとつ大切なことですが、与えられた雑務で能力を高めてしまう。こういった節約ではなく、元をとる発想、転んでもただでは起きない発想がひとつ基礎に据えるといいのではないでしょうか。