褒められて嬉しいことから褒め方を学ぶ

先日、私のblogを読んだ方から「斬新な視点で毎回目から鱗です。独創的で変わっているけど非常識では無い。心が洗われます」という大変ありがたいメッセージを頂きました。
もちろん、わざわざこういったことを言ってくれているのですから好意はあるのでしょうけれど、少しその好意に上乗せされた部分もあるでしょう。
しかし、基本的に私は言われた褒め言葉素直に受け取って、活力にしていこうと思うので、豚もおだてれば木に登るではないですけど、褒められると、よし頑張るぞと意識せずとも思えるわけです。
中には褒められたり、お世辞を言われると、必死に否定する人がいて、横で聞いていても、そこまで否定しなくてもなあと思うことがままあります。私が褒めた時も、必死に否定されると、面倒くさくなってしまいますし、もうこの人を褒めるのはやめようかなと思ってしまいます。
褒められるのが苦手という人もおられるのでしょうけど、そういう人はすぐに直した方がいいと思うんですね。それがただの謙遜ならまだしも、本当に褒められなれてない人は、何度も確認したり、「どこが、どこが」としつこく聞いてしまったりしてせっかく褒めてくれた人に不快なおもいをさせてしまうことにもなりかねません。
私が知っている人で非常に褒められ上手な人がいて、私が「それ可愛いね」とかいっても、ニッコリ「ありがとう。そんなことを言ってくれるのはみのりさんだけですよ」なんて褒め返されるのです。ここまでくるとお互い気持ちいいですし、なかなか手練れだなと妙に感心してしまったりします。
それで褒めの名手となると、その人が言われたいと思っていることをど真ん中で言う以上に、その人がもやもやと思っていた理想の状態を的確に言葉で言い表すことができるんですね。
今回のお便りもまさにそれで、私がさかんに言っていたことの中に、「変」とか「個性的」っていうのはよくも悪くもとれる、それの良しあしを決めるひとつの分水嶺として、良識の範囲内の「変」なのかどうかがひとつ重要なメルクマールで、個性的、変人であるためには、何よりも良識的な人間であることが求められる……という主張があるのですが、なんとそれをまさに一言で言い表しているではありませんか!
というわけで、浮かれてばかりいるのですが、皆さんもうまいこと褒めてみましょう。
前回の記事とも関連しますが、やはり褒めるには日ごろの観察が大切で、日々みているからこそ、的確な、それもズバっと急所を突くような褒め方ができると思うのです。