自信があるわけがない

いま北方水滸伝を読んでいます。
その中にこんなシーンがありました。
王進という武術の強い人がいて、その人があるお屋敷に居候させてもらっている。そこの主人の息子(史礼)に武術を教えることになるんですね。
武術の稽古が進んだある日、村に盗賊がやってきます。
そんなシーンです。


「盗賊は、みんな馬で来ている。おまえも、馬に乗れ」
「私も、盗賊の打ち払いに加えて頂けるのですか?」と息子。
それに対して王進が言います。
「加えるのではない。おまえひとりで、打ち払うのだ、武器は棒でよい。ひとりの盗賊も、逃がさずに打倒せ――」
盗賊は十数人います。それも盗賊は「いままで、村の若者が百名集まって、必死に追い返した盗賊」なのです。それを、史礼たった一人で倒さなくてはならないのです。史進は不安になります。
「私、ひとりで?」
「自信がないか?」と王進。「ありません」と史進
「それでいい。自信があるわけがない。あってはならんのだ。し
かし、(略)お前は賊と闘わねばならん」


私たちは誰しも自信がありません。自信があるように見える人も不安を抱えているのです。「自信があるわけがない」のです。
しかし、「それでいい」。私たちは自信があるのではありません。「闘わねばなら」ないから、やるのです。

参照:『水滸伝1曙光の章』(集英社文庫/北方謙三)115頁,他55頁等