無意識の蓄積

やる気が出ないことってありますよね。私もたくさんあります。というか、私も高校生のときは「やる気がないといえば、みのりさん」ぐらいの勢いでやる気がない人間の代表でした。担任の先生も、みのりはやる気がないから学校を休んだり遅刻しても何も言うなという感じで私は高校の頃、休み放題でした。通知表の遅刻と休みの日と早退をたすと1年の日数を越えてしまうぐらいひどい生活をしていました。
担任の先生が私を放任していた理由があるんです。私の学校はすごい受験校で、勉強ばっかりさせられることでした。私の学校では他の学校の例にもれず、何かイベントがあると作文を書かされます。私は当時、勉強くらいしか興味がなかったので、毎回勉強のことを書いていました。運動会だろうが、春の遠足だろうが私は勉強の話をしていました。
それを見て、先生はいつも「みのりさんの作文は情熱的でとてもよい」大変褒めてくださいました。
要するに、やる気はひとつあればいいのです。
逆にいえば、やる気がでないことは好きじゃないことなのです。

ところが、勉強もだんだんやる気が出なくなってきました。勉強というか、一部の勉強にすごくやる気がでてこない。私は勉強が好きなはずなので、どうしてなんだとずっと思っていましたが、今になって、やっぱりそれほど好きじゃなかったんだなと思うようになりました。
そういうときに今までやってきたことを捨てるのは大変勇気のいることですし、よほど決断できる人や他にやりたいことが明確にある人でない限り、やめることはできません。
でもそれでいいのです。本当にやりたいことは実は、勝手にやってしまっています。時が過ぎ、いよいよこれはやめようかなと思ったときに、自分がサボっているときにやっていたことの蓄積が実は膨大な量になっているのです。
試験勉強をしなきゃいけないときに、全然関係ない学術書を読んでしまう。実はそういうのが一番の蓄積になっているのです。