希望という言葉について

このblogには希望という言葉が入っております。
今日はその希望という言葉について考えてみます。

希望という言葉から少なくとも2つの事柄が推測されます。
第一に、時間的に今ではなく未来に対する言葉であること。
第二に明るい、なにかこうプラスのニュアンスが込められているということです。

ということは、私が希望という状態にあるとき、私が見ている未来は必ずよいものであるはずです。これを逆から言えば、希望している限りにおいて、未来が悪いものではありえないということになります。では、希望の先にある絶対にいい未来を、幸せな未来と呼ぶことに致しましょう。では、幸せな未来を待っている「希望」という状態は一体どういう状態なのか。未来が幸せであるということは間違いないにしても、幸せな未来を待っている、「今」ははたして幸せなのか。
ここで、わかりやすく遠足を例に考えてみましょう。
遠足は、当日よりも遠足の前日、その準備をしているときが最も楽しい。しかしその最も楽しい準備が遠足なしでは決して成り立たない。遠足がないとわかっていながら、遠足の準備をしても少しも楽しくはないのです。遠足があってはじめて遠足の準備が楽しい。つまり、遠足という幸せな未来を条件に、遠足の準備が最も楽しくなるという奇妙な関係にあるのです。
そうであれば、希望という幸せな未来(=遠足)を待っている状態こそ、「遠足の準備」であり、もっとも充実した楽しい時間であるということになります。
それゆえに、希望がこそが最上級の幸せであるといえましょう。
その最上級の幸せが朝ごとにやってくる。
朝ごとに、というのは毎日ということです。それも朝というのは起きた直後です。夜では遅いのです。夜に希望がやってきたのでは、不安な朝と昼があります。そうではなく、最上級の幸せたる希望が、朝一番でやってくる。そうだとすれば、私たちは永遠の最上級の幸せを感じ続けることができるのです。