やりたいことをやれる人

やりたいがあるとして、それをやれない人の共通点として、そのやりたいことをやってはいけないと思っている節があるような気がします。
たとえば、小説を書いてみたいけれど文才がない。文才がないからやっちゃいけない、みたいな。文才っていうのはたしかにある人とない人がいます。しかし、誰でも文章を書くことはできます。文才がないのなら、淡々としたスタイルで小説を書いたっていいわけです。
私がはじめて司馬遼太郎さんの小説を読んだときに、この人の文章なんだか変だなって思いました。恥を忍んでいえば、この人の文章を書くのが下手ではないけど、才能がないなって思ったんです。私の中で文才のある人は川端康成のイメージです。でも、司馬遼太郎さんの小説はめちゃくちゃおもしろい。慣れたら、短いスパッと言い切るような文章がたまらなくカッコイイような気がしてくる。あまりにおもしろいからもう一度読むと、文章がめちゃくちゃうまいんですよ。私が今まで読んできた小説にはない書き方だっただけなんですね。
だから、長くて情緒的な言い回しができなくても、事実を淡々と書いていくような小説でも私はおもしろいと思うし、日記調で書いたってなんだっていいと思うんですね。
ほかの人は知らないけど、私はこのスタイルでいくよって書いちゃって、それがおもしろかったらもう全然違和感ない。

やっちゃいけないことなんて全然ないんです。
お前その初期値でそんなことやっちゃうのかよって驚かれるくらいのことをしてみましょう。
個人的にはあまり好きでない言い回しですが、自分に許可を出せる人って、いろんなことにチャレンジできると思うんですよ。