他人に任せる人になり、他人に任される人になる

私は結構他人任せなところがあります。
その発想の基礎にはできる人がやることが一番効率的だと思っているからです。
それで、私にはできないことがたくさんあるので、たくさんのことを他人に任せるということになります。
自己紹介をしなきゃいけないことって結構あると思うんですけど、そういう時も一番自己紹介が得意な人が全員をそれぞれ紹介してくれればいいのにって思います。
自己紹介が苦手な人がもごもご喋ってても何も伝わりません。ハキハキと喋れる人が全員分紹介しちゃったほうがよくないですか?
私たちはなんでもかんでも公平に負担したがります。これは小学校からの伝統です。
「お前掃除早いから、掃除やっておいてよ。私たちは遊んでるから」
こういった発言は許されません。でも、掃除をする代わりに宿題でも見せてもらったらどうですか。帰りに力持ちの友人にランドセルを持ってもらったらどうですか。こういう発想ができないのです。
宿題は一人ひとつずつやるとクラスの人数分の労力が必要です。ところが、クラスのみんなの宿題を一人でやることはそれほど大変ではありません。宿題はまったく同じ内容ですから、二回目、三回目はだんだんスピードがあがってきます。というか写せる性質のものであれば写せばよろしい。
掃除もみんなでだらだらやるよりも、掃除について任せられた選ばれし者が責任をもって超集中でやったほうがずっといい。

責任を押しつけるという言葉がありますが、責任というのは権限と表裏をなすものです。責任というのは、義務や債務とは異なるものです。債務や義務がないというのはやらなくていいということですが、責任がないということは権限がないということです。下っ端なのです。
ですから、他人に何かを任されたら喜びを伴って、全力で仕事をしましょう。掃除が面倒だから掃除を押しつけているのではありません。その人が掃除をやるよりもあなたが掃除をしたほうがうまくできると思っているから掃除を委任されているのです。何もできない人は何も頼まれません。たくさん頼まれる人になりましょう。
逆に、全体の生産性を多少犠牲にしてでも自分の能力の向上させたいときは図々しくも私がやるよといいましょう。
そして、全体の生産性を重視したい場合は他人に任せましょう。それを信頼というのです。