心に平安を

ついこの間、昼間に井の頭線に乗って渋谷にいこうとしたんですよ。
各駅停車でしたし、昼間でしたから車内はすごく空いているわけです。
そうしたら、ある駅で、突然、大量に人が乗り込んできて、どれもこれも男の子とその親御さんの組み合わせなんですよね。ああ、中学入試なんだなと思って、駅を確認したところ、駒場東大前。
その日は2月の3日でしたから、私の記憶によれば筑波大学附属駒場(以下、筑駒)という学校の入試のはずです。
筑駒というのは中学入試の中では最難関の学校です。
ところが、親御さんもそのお子様もみんな穏やかな顔をしている。
私の頃、というか私が受験していた時は、受験の後、親が迎えに来て、まず「どうだった?」と聞くわけです。
それで、できたといって変な期待をもたせるわけにはいきませんから、
「あんまりできなかった」と言うわけです。
そうすると、途端に羅生門に出てくる鬼のような貌になって、
「どうしてできなかったのよ」と母。
父は「もういい、お前は公立だ」などと言うわけです。
そこまで言われるとだんだん腹が立ってきて、
「そもそもやる気なんかないし、受験なんかどうだったいいし、人生だってどうだっていい」とか言ってしまうわけです。
そうすると、母が、
「どうしてあなたはいつもそうなの!? 情けないわけねえ。家庭教師も塾も全部無駄だったわね!」
なんて言うものですから
「ああ無駄だった! バカな子供に投資するのが一番バカみたいだ!」
となって、人目もはばからず、罵りあうわけです。しばらく罵りあうと、全員無言で険悪な雰囲気になりますから、静かになります。そうすると近くの人の罵声が聞こえてくる。よく聞いてみると、我が家と同じようなやり取りがおこなわれている(笑)。
去年にも、小田急線に乗っていると、まだ若い母親らしい女性がメガネをかけてNのマークをつけたリュックを背負っている小学生に「ここがダメだったら、どこもないわよ!」等と言っている。その眼差しは痴漢を睨みつける若い女性の比ではありません。この世の汚物を、自らが生み出してしまった排泄物を見る目です。
その日は2月の5日で、中学入試というのは1日〜3日が山場で5日に風船がしぼむように終わっていきますから、5日にどこか受けている人というのはそもそも第一志望、第二志望あたりはだめだったということが推定されます。4日あたりに2日の滑り止めの学校が受かってなくて、気が動転したまま、聞いたこともない自宅からとても6年は通えないような辺境の学校に出願してしまうわけです。
中学入試というと、こういう嫌なイメージがあるのですが、さすがに一流の中の一流の中学を受けている方々は受験が終わっても罵りあいなんてしません。
みんなニコニコと笑っています。お母様も天女のような笑みで、「お疲れ様。今日はお寿司食べようか」などと言っています。
私の時は、寿司屋の予約だけとってあり、その直前に「寿司なんて食べてる場合じゃないでしょうがァァァ!!!!」と山をも揺るがす怒声と共にキャンセルになるわけです。
よく中学入試は上位校になればなるほど、家族の間が冷え切っているようなそんなイメージがありますが、逆です。
私のようなバカとそのバカをどこぞやに押し込もうとする家庭が中学入試の負のイメージを作り出しているのです。


「筑駒ですか?」
「そうです」
「受かっているといいですね」
「本当にそうですねえ、ありがとうございます」

なんて余裕のある会話を横のおじさんとして、いい気分で渋谷に向かうことができました。

心にいつも平安を。家族は仲良くしましょう。