なぜ今日も明るいのか3

昨今、「自己投資」という言葉が流行っております。読書をしたり、セミナーに通ったりすることが一般に「自己投資」と言われます。
先日のプレゼントの話は「自己投資」と何が違うか。

とまあ、こんなところで終わったのでしたね。
「自己投資」っていうのは投資という言葉からもわかるように、1万円払って1万円以上のもとをとってやろうという発想があります。ですから1万円のセミナーに年に100回いって、年収が15万あがった。サラリーマン生活は後10年残っている、というのならその自己投資は一応の成功したことになりますね。
そして「自己投資」と呼ばれるもので投資するものはお金だけではありません。時間も労力も使います。
例えば、資格の勉強を決意する。だからといって突然会社をやめるわけにはいきませんから、いつもより30分早く起きたり、お気に入りの女子高生の尻を堪能していた通勤時間、仕事帰りの一杯の時間を割いて、勉強の時間に充てたりするわけです。
これはかなり大変です。年収15万あげるためにこんなことをしたいかといえば、したくない。私ならやらない。
ですから「自己投資」というのはもっと大幅な効果がないと困るのです。時間も労力もお金も使って投資しているのですから、かけたお金に1万円の利益が出たくらいでは大損です。その間、アルバイトをしてたってその程度の利益はでます。
しかも「自己投資」の投資先はどこでしょうか。誰でしょうか。そんなに期待できる人なのでしょうか。
調べてみると、おお、なんと投資先は、今まで何の陽の目も浴びてこなかった自分ではありませんか。
これでは給料をインチで預金しているようなものです。トルコリラの方がずっと安全みたいな。
もちろん私個人としては、「自己投資」は大いに素晴らしいことだと思いますし、利率20%くらいの外国為替ぐらいの強さはあると信じていますが、とにかく「自己投資」は金銭以外の――時間の喪失や労力の提供といった苦痛を伴うことが多いのです。それを言いたいんです。

先日、「プレゼントは贈られるよりも贈った方が嬉しいものです」と書きました。その後に、「どちらも嬉しいという状態をプレゼントはもたらします」と続けました。
今日のプレゼントは自分から自分へのプレゼントです。

プレゼントはあげたいものをあげます。その人が本当に必要なものをあげることはめったにありません。のび太のお父さんのように誕生日に百科事典を買ってくるのは、それが本当に必要なものだとしても、友達としても父親としてもナンセンスでしょう。

ですから、私のいうプレゼント論は苦役を伴いません。喜びに満たされた行為が、数日後数年後に突然の僥倖としてやってくるのです!!

さあ、昨日からのプレゼントに感謝し、明日へのプレゼントを選ぼう。

ありがとうございました。