他人に迷惑をかける

よく、他人に迷惑をかけるなと言われます。しかし、それは土台無理な話です。
たしかに無理だ、しかし出来る限りそうすべきであろう――こう思うあなた、その心掛けはよろしい。
問題なのは、私は他人に迷惑をかけていないと言い張る人なのです。
こういう人は圧倒的に女に多い。それから歳をとっている人に多い。こういう輩は、存在が迷惑なので、他人に迷惑をかけないという至上命令を全うすべく今すぐ消滅がよい。

生きている限り迷惑をかけるというのは何も、お前の呼吸によって酸素が減るとかそういう壮大なことを言っているのではありません。ひとつ例を出してみましょう。
煙草を吸う人は、煙草の煙が嫌な人にとって、迷惑です。煙草のポイ捨てが喫煙者のマナーの悪さとして指摘され、様々な運動が行われていますが、彼らが嫌いなのは実はポイ捨てではなく喫煙そのものです。街のゴミではなく、煙草の煙や匂いが嫌なのです。しかし、私が嫌だから喫煙者は消えるべきだというのはいかにもわがままな感じがしますから公共という盾を手に取り、喫煙者を消そうとするのです。
逆に、こういった運動家、あるいは運動家ではなくともそう思っている人は喫煙者にしてみれば甚だ迷惑な存在です。煙草の煙や匂いが嫌でなければ、気持ちよく煙草が吸えるのに――そう思うでしょう。

次に、電車の中で騒ぎ立てる高校生がいたとします。彼らの行為は実に迷惑です。うるさい。そこで、一人の勇敢な老人が彼らを注意します。若者はへぼい老人の言うことなど聞かないので、老人も恫喝すべく怒鳴ってみたりする。そうすると、電車の中に雰囲気が一気に悪くなり、それはそれで迷惑であありましょう。なんだか自分も怒られたような気がして甚だ不快です。こういう場合老人は車両の全員の為に、いわば公共のために若者を注意したのでありましょう
う。しかし、彼の恫喝はかえって他の乗客を怯えさせ、逆に迷惑なものとなるのです。

電車の中で惚気ているカップルというのは実に迷惑なものですが、カップルが普通に喋っているだけでも、つい先刻フラれたばかりだったりしますと苛立ちが込み上げてきます。実に迷惑です。カップルでなくとも男女という組み合わせがカップルに見えてくるので、男女で電車に乗ることは実に迷惑です。他人に迷惑をかけたくないなら、男女は車両を変えるべきでありましょう。それがマナーです。
電車の中での読書も実に迷惑です。他人の迷惑にならないよう細心の注意を払い、あたりに気を遣っていなくてはなりません。新聞などもってのほか。太っているというのは、それだけで座席が占められますから、座りたい人も座れず実に迷惑です。太っているのが二人いるだけで、一人分の座席がなくなります。では、痩せている人が座ればいいかというとそうではありません。太っている人は生きているだけで疲れてしまいますから、痩せているのが座っているのは実に迷惑でしょう。ならば、誰も座らないことがいいのかといえばそうではありません。
それでは何のために座席があるのかわかりません。無駄ではありませんか!(笑)

このようにして、生きている限り、人間というものは他人に迷惑をかけてしまうものです。
そうであれば、迷惑をなるべくかけないようにするという心掛けはまあよいにしても、迷惑はかけたくないというのであれば、やはり生まれてこない他に対処のしようがありません。俺は迷惑だから死のうといっても、突然死んだのでのでは、会社の人や、残された家族が迷惑というものです。
ですから、他人に迷惑をかけずに生きるよりも、他人の迷惑を許容する精神を持つ方がよほどいいし、よほど実現可能というものです。

というわけで、他人の迷惑行為を許容する寛大な心を持ちましょう。
こんなものを読んでいる間に、早速、友人や取引先から遅刻の連絡が入りました。あるいは、満員電車の中で自分の足を踏みつけている男がいることに気付きました。
いいではないですか、早速許容しようではありませんか!!
他人の迷惑を許容するチャンスは山ほどあります。これで、従来は他人の迷惑に遭ったという不幸の回数が、そのまま他人の迷惑を許容した幸福の回数に変わります。


「君が将来幸福であるように思うとしたら、それはどういうことかをよく考えて見たまえ。それは今、君はすでに幸福をもっているからだ」(アラン・『幸福論』)