脱走して自由になろう

フィヒテという学者はこんなことを言っています。
自由であることは、何でもない。しかし、自由になることは天国である、と。
フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』で有名な人ですがドイツ観念論でカントの後継あたりの人です。
自由であること、自由になること。似ているようで、違います。
わかりやすい例をあげましょう。
フリーターやニートは自由であることです。
会社を辞めて独立することは自由になることです。
両者の違いはなんでしょうか。自発的行動かどうかです。
同じニートでも、脱獄してきた人は自由になっています。
自由はのぞんで手に入れてはじめて価値のあるものになるのです。
仕事を辞めたい人、今すぐ脱獄計画を立てましょう。
脱獄を企てる人はまず何をするでしょうか。腕立て伏せをして勉強します。
ヤクザにとって刑務所は勉強をする場所です。図書館なのです。
水滸伝では林沖も腕立て伏せをします。
昭和の脱獄王と言われる白鳥由栄も腕立て伏せをしていたそうです。白鳥由栄は、手錠を引きちぎって、網走から逃げ出してしまうような人です。

私は今日『大脱走』という映画を見ました。2011年、一番最初の奇跡です。
一昨年は『プリズンブレイク』というドラマをみていました。これも脱獄です。これは2009年の奇跡です。私が一番好きなシーンは、マイケルスコーフィールドが、壁に逃げる予定の道を暗記しているシーンです。覚えなきゃいけないところにふせんを貼って、「左、右、左……」とめくっていくのです。
頭を叩きながら、うろうろと歩きまわりながら覚えるのです。頭を使うときは動いていたほうがいいのです。それから答えをちょっとだけ見るというのも暗記テクニックです。かなり理にかなったやり方で彼は暗記しているのです。
これを見たら、勉強しようって思いますよね。
脱獄モノでは必ず見張りがいます。看守が回ってくるからです。看守が回ってくると、見張り番がコツコツと叩くのです。それを聞いた作業班はそっと作業を隠すのです。
明日から上司がきたら、横の同僚に机を叩いてもらいましょう。

週末あたり、コーラとポテトチップを買って、脱獄映画を観ようではありませんか。