逆もまた真であると心得る

論理学の世界では「逆は必ずしも真ならず」ということを最初に習うものです。
例えば、「高学歴ならば頭がいい」という命題があったとしたら、その逆「頭がいいならば高学歴である」は真とは限らない。
ところが、人生や社会というのは学問の世界のように緻密な論理で動いているわけではなく、実に大雑把なものです。ですから、人生では「逆もまた真である」ことが非常に多いのです。
先ほどの例でいえば、実際問題、頭のいい人というのは高学歴な人が多いと思いますし、学校の勉強しかできないパーが名門と呼ばれる学校にいけばそれなりに賢くなってしまうのです。
ある命題があったとして、その命題が正しいされていれば、誰でもその命題を実行するものです。ところがその逆は実行しません。どうしてかっていうと「頭のいい人」は、それが論理学的に誤りであることがわかるからです。だからやらない。人がやらないことにはチャンスが眠っているものです。ということは敢えて逆をやってみる。
自分は低学歴だからバカだと考えずに、頭がよくなりたいなら名門に行ってみる。
そうやって道を切り開いていく。

例えば、「モテる男はよく女の子と遊ぶ」のが一般的ですが、逆に「よく女の子と遊ぶからモテるのではないか」と考えてみる。そうすると、モテるモテない、かっこいいかっこよくないとは関係なく、女の子と遊んでみようかなということになります。無論、こういった推論は論理学的には誤りですから、違うこともあるでしょう。しかし気にすることはありません。「逆もまた真である」ことも多いのですから、気にせずに色々やっておけばいいのです。人生は、試験と違って、問題数は限られていませんし問題も無限にあります。だから色々やってみて正解を多くとってしまえばいいのです。考えているほうがずっと非効率です(もっといえば、一般論が命題として真であることも疑わしいので、推論が論理学的に正しかったとしても意味がありません)。


そういうわけで、「逆もまた真である」でひとつ発想してみましょう。